土気城(第六回)


この一帯が城址で右奥に本丸があった(日本航空研究所跡)


銘板に表示されている城跡の略図

外房線の土気駅から東北に歩いて約20分、少し小高い丘陵一帯に土気城址があったところである。この城も生実城と同じようにあまり高い場所に築かれていない。 ここで酒井氏は五代100年にわたり土気と東金の広い地域に優勢に勢力を保っていた。

=経緯=
ここには土気古城(貴船城)が奈良時代、畠山重康の居城であったともいわれています。そこに酒井定隆が文明年間(1469年〜86年)古河公方成氏の古河城を去り、 品川から船で浜野に着いた。 その時、同船していた日泰上人の徳に感じた定隆は、その後長享2年(1488年)土気城を築き、日泰上人を招き、領内七里四方を日蓮宗に改宗した。これが有名な七里法華として周辺には広大なお寺が数多くある。


左は土気古城(貴船城)跡に奉られている貴船大明神/右は酒井家5代の墓地跡・現在供養碑が建てられている


=土気城に関する寺、神社=


善勝寺

創建年は不明、元は極楽法寺という真言宗のお寺で酒井定隆が城主になった長享2年に日蓮宗に改め善生寺となり天正19年(1591年)に家康から 寺領50石を賜り、善勝寺と改名した。 この寺の境内は「善勝寺ぐるわ」とよび出城の役割を兼ねていた。安永元年(1772年)に焼失した。この本堂の裏手には土塁の跡が見うけられる。 また、本堂脇には酒井氏滅亡後徳川家康に仕えて旗本となった5代康治の子、重治やその子の実治などの墓がある。

 

 

 

本寿寺

土気城の西南に位置し土気城を築いたのを機会に浜野町の本行寺の開祖日泰上人を招いて「如意宝珠山本寿寺」を建立。 ここを東上総七里法華の根本道場として、領内の寺院をすべて日蓮宗に改宗したといわれる。 善勝寺とともに顕本法華宗の本山妙満寺(京都)の輪番10個所の1つである。 境内には日泰上人・酒井定隆以下、5代の供養塔がある。

 

縣神社

土気城の東北に位置し土気古城から土気城を再興したときに魔よけとして創建され、以後酒井氏代々の守護神としての神社である。 家康公を始め徳川代々より五石のご朱印領を寄進された山武郡唯一の神社である。



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